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こころの掲示板
本校では、生徒玄関横に「こころの掲示板」を設置しています。書道クラブの協力のもと、月に一度生徒に問いかける法語を掲示しています。法語を掲示し、ホームルームやクラブ活動、学校生活のあらゆる場面でとりあげ、自分の生き方や心を見つめる機会としています。
また、毎週金曜日の瞑想の時間には、三分間の「朝の法話」を放送しています。いつも外へ向いている自分の目を、自分自身の方へ向けてみる貴重な時間になります。
今月の法語
11月
書:中城 琴乃
「THE BLUE HEARTS(ブルーハーツ)」のボーカル・甲本(こうもと)ヒロト氏の言葉です。岡山県出身なので「~じゃ。」となっています。「リンダリンダ」「人にやさしく」など多数の名曲があります。
私たちは「幸せ」を求めますが、どうやったら「幸せ」になれるのでしょうか。多くの場合は「お金が手に入ったら幸せ」とか「自分が欲しいモノが手に入ったら幸せ」というように、「幸せ」とは何かを「手に入れる」ことで実現するものだと考えているようです。
そして、「手に入れたいもの」は自分には無いもの(自分がすでに持っているものを「欲しい」とは言いませんよね)ですから、そう考えていくと、「幸せを求めること」と「無いものねだり」は表裏一体のようです。それが自分を動かしていく原動力になることもありますが、「無いものねだり」の生き方のゴールは一体どこにあるのでしょうか。ゴールのないマラソンのようなものです。
ところで、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるい、自宅待機を強いられていた2020年春頃、これを書いている本人の話ですが、やることが何もなくて、ちょうど1歳になり歩けるようになりはじめた長女を連れてひたすら近所を散歩していた時期がありました。そんなに遠くには行けませんので、毎日同じルートを歩きます。ゆっくりゆっくり歩いていると、同じような風景のなかに、少しずつ変化を感じます。「今日は少し風が温かいね」「こんなお花が咲いているね」と、車も人もいない通りを、マスクを外して、時間も仕事も三密も気にすることなく歩きます。これまで同じ道は何度も歩いているのに、今まで気づかなかった大発見がいくつもありました。
不謹慎かもしれませんが、コロナ禍で何もできなかったからこそできた「幸せ」の発見でした。社会も学校も制限だらけで「不自由」でしたが、強制的に立ち止まれたからこそ、私は「幸せを感じることのできる心」を呼び覚まされたように思います。目に映る何でもない風景に「幸せ」を感じました。
「幸せを感じることのできる心」がなければ、どんなに高価な、どんなにすごいものを手に入れたとしても、また次の「欲しい」が出てくるだけですが、この心があれば、子どもが拾って渡してくれた小石も宝物になります。
10月
書:有賀 心音
友人が「子どもがはじめてしゃべった言葉がまさかの「パパ」や「ママ」ではなく「アンパンマン」だった」と言っていました。私自身も幼いころの写真や記録をみると必ずどこかにアンパンマンがありましたので、もしかしたら最初の言葉が「アンパンマン」だったかもしれません。
このように幼少期、通らなかった人はいないのではないかというくらい、「アンパンマンなくして子育てなし」というのは決して過言ではないと思います。
この書籍は、アンパンマンの生みの親「やなせたかし」さんが、作品に込めた思いや、子どもたちに対する考え方、少年時代の記憶、そして自身の哲学などを書いたエッセイです。
アンパンマンの登場人物で主人公と同じくらい有名なのがバイキンマンです。お話の中ではいつもアンパンマンの邪魔をします。最後は対決して負けてしまいますが、次も懲りずに邪魔をします。
子ども向けの話で、善者と悪者の構図がでると、観るものに、「弱きを助け強きを挫く」善者を見本にし、悪者にはならないような影響を与えることがあります。ところが、悪者のバイキンマンは、子どもたちからさほど敬遠されてはいません。それは、アンパンマンのような見本にはならないけど、どこか憎めない。もしかするとイマイチ「悪」になりきれない面があるからなのでしょうか。
それを象徴しているのが毎度お馴染み、両者の対決シーンです。素手のアンパンマンに対し、乗り物や道具を使って圧倒的有利に立つバイキンマン。しかし、相手を徹底的にいためつけません。必ず相手が倒れる手前で止めています。ちなみに弱ったあと回復してバイキンマンにウィニングパンチをお見舞いするアンパンマンも同様です。
やなせさんはこの点を「手前で止めるというところが、ボクは大事だと思っています。社会においても、善と悪の要素があってバランスがとれて物事の進歩が見られるように、人の心にも善悪の心があって、そのバランスがとても大事です。」(『ボクと、正義と、アンパンマン』より)と言われています。
やなせさんは、この両者の姿から私たち自身の中にある善と悪も「戦いながら共存している」ことを作品の中で伝えたかったのではないでしょうか。
高校生の皆さんは、普段アンパンマンを観ないと思いますが、あの頃より大人になった今、もう一度観てみて下さい。きっと、何か心に響くものがあるはでず。
余談ですが、私の息子の最初の言葉は「パンツ」でした。
9月
書:丸山 舞依
飛鳥時代に推古天皇の摂政(せっしょう)として活躍した聖徳太子(厩戸王)は、朝鮮半島から伝えられた異国の宗教である仏教を日本に定着させた人物です。摂政という政治の責任者であった聖徳太子は、自ら仏教を深く学び、仏教を国教として国家統治の基本思想に採用し、平和な国家の設立を目指しました。
「憲法十七条」は、朝廷内の豪族の規範として聖徳太子が制定したもので、聖徳太子の仏教理解が窺えます。今回の法語はその第十条にある言葉で、この文を訳すと「皆ともに凡夫(ぼんぶ)なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれが決めることができるだろう。」となります。
聖徳太子の時代は、力を持った豪族同士の争いが絶えなかったといいます。いつの時代も、争いは「自分が正しい」という思いのぶつかり合いによって起こるものです。相手を傷つけてでも自分の思いや考えを押し通そうとしますし、また自分自身が自分の都合に合わなくなれば、自分で自分を傷つけてしまうこともあります。
どんな力持ちの人でも自分で自分の体だけは持ちあげることができないように、人間は自分の都合や価値観を通してしか物事を見ることができないのですから、自分で自分のことをまっすぐに見ることは不可能です。にも関わらず、自分だけは正しく物事を見て考えることができているように勘違いし、「自分は正しい」という思いに縛られ、どこまでも自分の都合を中心に生きる愚かな人間の姿を仏教では「凡夫(ぼんぶ)」と教えます。
「これこそ真実だ」「これは嘘だ」という刺激の強い言葉が溢れ、正しさのぶつかり合いで世の中が分断されようとしている今の時代だからこそ、私たちは“1”度立ち“止”まるというのが“正”しい行いかもしれません。
ところで、関西弁に「知らんけど」という言葉があります。無責任な感じに受けとられる言葉ですが、これは「私は凡夫であり、正しい道理をわきまえていないので自分の発言に責任が持てません」という意思表示であり、「自分が正しい」という押しつけを予防しようとする、誠実なコミュニケーション技法のひとつなのです。
7・8月
書:スタシアチェッリ ゾフィア(留学生)
先日テスト返却があった際、「ちゃんと見直しをしておけば。もったいないことをした」と嘆いている生徒がいました。
「勿体(もったい)ない」という言葉を辞書で引くと「そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい」と、書かれてあります。私たちの普段の生活でも、できるのに、できなかった時や、期待値に届かなった時に、「勿体ない」という言葉を使うことがあります。
ところが「勿体」という言葉の本当の意味は、「本来あるべき姿」ということで、その姿から消失した形が「勿体ない」ということになります。
写真家の本橋誠一さんは、大阪は松原の屠場(牛や豚などの家畜を殺して解体し、食肉に加工する施設)で働く人々を約三十年に渡って記録されました。その中で、牛と向かい合う作業員の姿から、生きるためには殺さないといけないという人間の矛盾に苦悩する姿と、「いのち」を奪う者に向けられた差別の中にあっても、誇りをもって仕事に取り組む姿が垣間見えたそうです。そして、「いつから私たちはいのちが見えなくなったのだろうか。」という問いかけもされています。
かつて私たち人間は自らの手によって「いのち」を奪い、自らを生かしてきました。そして、目の前の「いのち」が息絶える度に、「いのち」のはかなさ、生死の理が、ありありと見えたのだと思います。
しかし、時代が進むにつれ貪欲さを増した人間は、大量生産、大量消費を好むようになりました。そして、便利で快適な暮らしを享受できるようになった一方、「いのち」を個人の所有物にしたり、「いのち」が互いに支え合っていることを忘れたりと、「いのち」が見えなくなっているのが今の私たちです。
「私は、どのようにして生きている」のか。
「勿体ない」ことをしている私たち人間は、改めて考えなければならないように思います。
6月
書:宮下 結菜
この文章を書いている私(宗教科教員)は、平均的な成人男性に比べ身長が低いほうです。これは幼いころからそうで、小学校入学以来、クラスで「背の順」で並ぶときには必ず列の先頭に私がいました(反対に、名前の順番では必ず最後尾でしたが)。
これは、長らく私にとって大きな問題でした。背の高い人への羨望の気持ちは、小学生頃から芽生え始めました。なんとか背を伸ばそうと、苦手だった牛乳を毎日飲んだり、当時使っていた二段ベッドの上段のフレームに足を挟み逆さまにぶら下がってみたりしました。しかし、なかなか自分の望むような結果は得られませんでした。「身長さえ手に入るのなら、私は他には何も望みません。」と、お祈りするような気持ちで思春期の日々を過ごしていました。
小学生・中学生と続き、高校生になっても、同じ悩みに心が支配されていました。そのような高校時代でしたが、ある二人の人物から言われた一言が、私の心を軽くしてくれました。
一人はクラスの友人でした。その友人は大の競馬好きで、私に頭を下げて「お前のその低い身長は競馬のジョッキー(騎手)に向いている。頼むからジョッキーを目指してくれ。」と言いました。身長の低いことが有利になる職業があることを初めて知り、自分の身長の見方が変わったのを覚えています。
もう一人は私の母親でした。母親は私に「あんた、背の低いのは“省エネ”なんやで。食べ物も水も少なくて済むから環境にええことなんやで。」と言いました。母親は冗談のつもりで言ったのかもしれませんが、「背が低い」ことと「省エネ」がつながるなんて発想は自分の中には無かったので、世紀の大発見をしたみたいでうれしい気持ちになり、心がほどけました。
今回の法語「評価は創造である」という言葉を、私はこのような自分の経験に当てはめて受け取っています。自分の身長に対する「評価」が、目の前で「創造」されたのです。既存の評価軸を超え、新しい「評価」を「創造」する力を持っている、ここに人間の豊かさを感じます。
5月
書:中条 琴乃
昔から「笑う門には福来る」といいますように、笑いは心身の健康によいことが経験的に知られてきました。
一方、近年は笑いと健康との関連が学術的に報告されるようになり、笑いが痛みを減らし、ストレスを解消し、免疫力を上げることなど数多くの健康効果が報告されてきました。しかし、いくら笑いが大切といっても、笑いたくても笑えないことだってあります。
身近な生活でおこった悲しいことにはじまり、戦争や未曽有の自然災害など、自分の責任ではないところから襲ってきた出来事を経験したときに、はたして笑うことはできるのでしょうか。
作家の五木寛之さんは、自身が更年期という、心も体も疲れやすい時期に一日一回よろこぼうと、大きなことから些細なことまで手帳に記していたそうです。すると不思議なことに、よろこぼうと身構えると、よろこびのほうから近寄ってきて心も体も回復したようです。
ところが数年経つと、よろこぼうと意識するあまり、心からよろこべなくなり、「よろこびノート」の効果が薄れたそうです。そこで今度は、「悲しみノート」と題して、今日あった悲しいことを一つひとつ書いていきました。すると、再び心と体が回復し、立ち直ったといいます。
悲しいことがおこったとき、私たちは何とか前を向こうと、あるいは逃避したいという思いから、無理やり笑おうとすることがあります。しかし、表面上の笑いで悲しみから目をそらしても、根本的な解決にはならず、かえって悲しみ続けることにもなりかねません。
むしろ、悲しいときこそ、しっかり悲しんで泣くこと。そうすることで、気持ちの整理がつき、生きる力が湧いてくることもあります。そしてその先に、ほんとうのよろこびを味わえるのではないでしょうか。









