4月

書:スタシアチェック ゾフィア(留学生)
この「伝導掲示板」では、宗教科の教員が言葉を選び、月替わりで紹介しています。
伊那西高校は「仏教」とりわけ親鸞聖人がお伝えくださった「浄土真宗」の教えを建学の精神とし、その上にすべての教育活動が成り立つ学校です。
仏教というと、難しいお経を勉強したり厳しい修行をしたりするもの、また思想や考えを押しつけられたりするもの、というイメージを持っている人もいるかもしれませんが、大谷大学名誉教授である延塚知道先生は、今回の言葉のように、仏教は「私が私自身になる教え」だと示してくださっています。
しかし「私が私自身になると言われなくても、もともと私は私だし・・・」と、素朴に疑問に思うかもしれません。ですから、世間の人は「私が私自身になる」ことよりも、「なりたい私になる」ことの方に一生懸命です。
「なりたい私になる」ために頑張ることは大事ですが、ここで大事になるのは、その思いの土台にあるのが「願い」なのか「欲望」なのか、という問題です。
人間は自分にないものを欲しがります。すでに持っているものを欲しいとは思いません。ですから「なりたい私になる」という思いの土台には、自分が持っていないもの、自分に足りないものを求めるという「欲望」が隠れているかもしれません。その出発点には、自分と周りを比べる心があります。しかし、比べる心は優越感や劣等感を生み出します。また、欲望は次から次へと沸き起こってきますから、ひとつ得られてもまた別のものが欲しくなって際限がありません。そして、人を蹴落としたり傷つけたりしてでも自分の欲しいものを手に入れようとします。ですから、欲望を原動力として生きている限り、争いは絶えません。最後には、むなしさだけが残ります。
欲望よりもさらに深いところにある「願い」が満たされなければ、他の何を得られたとしても、人間は本当の意味では満たされません。人間の願いとは何なのか、欲望の荒波のただ中で足を止め、むなしく生きることのない人生を問うていくのが、伊那西高校の願いとするところです。


