11月

書:中城 琴乃
「THE BLUE HEARTS(ブルーハーツ)」のボーカル・甲本(こうもと)ヒロト氏の言葉です。岡山県出身なので「~じゃ。」となっています。「リンダリンダ」「人にやさしく」など多数の名曲があります。
私たちは「幸せ」を求めますが、どうやったら「幸せ」になれるのでしょうか。多くの場合は「お金が手に入ったら幸せ」とか「自分が欲しいモノが手に入ったら幸せ」というように、「幸せ」とは何かを「手に入れる」ことで実現するものだと考えているようです。
そして、「手に入れたいもの」は自分には無いもの(自分がすでに持っているものを「欲しい」とは言いませんよね)ですから、そう考えていくと、「幸せを求めること」と「無いものねだり」は表裏一体のようです。それが自分を動かしていく原動力になることもありますが、「無いものねだり」の生き方のゴールは一体どこにあるのでしょうか。ゴールのないマラソンのようなものです。
ところで、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるい、自宅待機を強いられていた2020年春頃、これを書いている本人の話ですが、やることが何もなくて、ちょうど1歳になり歩けるようになりはじめた長女を連れてひたすら近所を散歩していた時期がありました。そんなに遠くには行けませんので、毎日同じルートを歩きます。ゆっくりゆっくり歩いていると、同じような風景のなかに、少しずつ変化を感じます。「今日は少し風が温かいね」「こんなお花が咲いているね」と、車も人もいない通りを、マスクを外して、時間も仕事も三密も気にすることなく歩きます。これまで同じ道は何度も歩いているのに、今まで気づかなかった大発見がいくつもありました。
不謹慎かもしれませんが、コロナ禍で何もできなかったからこそできた「幸せ」の発見でした。社会も学校も制限だらけで「不自由」でしたが、強制的に立ち止まれたからこそ、私は「幸せを感じることのできる心」を呼び覚まされたように思います。目に映る何でもない風景に「幸せ」を感じました。
「幸せを感じることのできる心」がなければ、どんなに高価な、どんなにすごいものを手に入れたとしても、また次の「欲しい」が出てくるだけですが、この心があれば、子どもが拾って渡してくれた小石も宝物になります。


