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書:脇田 茉奈

 ヤドカリは貝殻や時には海に漂うペットボトルなどを借りて自分の殻としている生き物です。漢字では「宿借」とも書くようです。もちろん、この殻は借り物ですので、殻の部分は「自分」ではありません。
 この詩にあるように、自分ではないもの(殻)を自分だと言ったらおかしいですね。しかし、その自分ではないものを自分だと思っているおかしな存在が私(人間)であると作者は言います。
ヤドカリの殻は分かりますが、私たちの「殻」にあたるものは何でしょうか?
 そもそも「殻」とはどういうものでしょうか。動物や植物の実や卵の外殻を指すほかに、辞書には「外界から自己を守る外壁」とあります。
 「殻」とは自分を守るもののことです。そして、その「自分」とは、具体的な身体ももちろんありますが、ここでは自分という存在そのものを指すのだろうと思います。もう少し言えば、自分の立場やプライド、といったものではないでしょうか。
 では、私たちは何によって自分の立場やプライドを守ろうとしているでしょうか。
 生き物は、自分を守るために様々な工夫をします。頑丈な殻を持つこともそうですし、自分を大きく見せたり、強そうに見せたり、反対に小さくなって存在感を消したり、周りと同化して見えにくくしたり、毒を持っているように見せたり・・・。
人間も、これと同じような工夫して、自分という存在を守ろうとしているのです。「殻」を使って本当の自分をうまく隠し、そして、自分を守るための殻でお互いにぶつかり合って傷つけ合っているのかもしれません。
この詩に立ち返ると、そのような殻は殻であって、本当の自分ではありません。
殻の中の本当の自分は、どんな自分ですか? 

6月

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