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こころの掲示板

4月

書:中城 琴乃

 この「伝導掲示板」では、宗教科の教員が言葉を選び、月替わりで紹介しています。
 伊那西高校は「仏教」とりわけ親鸞聖人がお伝えくださった「浄土真宗」の教えを建学の精神とし、その上にすべての教育活動が成り立つ学校です。そう言うと難しく感じるかもしれませんが、もう少し平易に、仏教とは「本当の自分を教えられていく道」であると言い表してもいいかもしれません。
唐の善導の『観無量寿経疏』という書物には「経教はこれを喩うるに鏡のごとし」という言葉があります。このように、仏教は自分の姿を見るための鏡のようなものだと言われます。
では、なぜ鏡が必要なのでしょうか。わざわざ鏡など使わなくても、自分のことは自分が一番よく分かっているような気がします。
 鏡が必要なのは、人間は自分で自分の姿を見ることができないからです。実際に目で見るということもできませんし、もっと問題なのは「正しくまっすぐ見る」ことができないということです。
たとえば、「雨」が降ったとして、ある時は「お花に水やりをしなくて済むから良かった」と思ったり、またある時は「楽しみにしていた行事が中止になって嫌だ」と思ったり、同じ「雨」でも、その時の都合やその人の価値観によって見え方が変わるものです。そのような人間の目なのですから、「自分を見る」といっても、自分の都合や価値観が挟まって正しく見ることはできないのです。
 「自分で自分のことを正しく見る」ことができると私たちは勘違いしていますが、それは本来的にはできないと仏教では教えるのです。このことを、ある先生は「どんなに力持ちの人間でも自分の体だけは持ち上げることはできないようなものだ」とおっしゃいました。ですから、「教えられる」ということが大事になってくるのです。周り人や物、あらゆる存在から自分を「教えられる」という歩みが、仏教の大切にしていることなのです。それは生徒だけの話でなく、教員も同じように伊那西高校という場を共にする一員として「教えられる」立場なのです。
 さまざまな人や物との関わりの中で、自分自身が他の誰とも比べることのできない尊い存在であることを学んでいくことが、伊那西高校の最も大事にしている願いです。

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